襷(たすき)で一番思い出すのは、箱根駅伝です。
バトンで最も記憶に残っているのは、リオ五輪の400mリレーです。
チームのゴールに向けて持てる力の限りを尽くして走り、
次のランナーへ後を託します。
400mリレーでは、一人ひとりのタイムは他には及ばないものの、
世界最高のバトントス技術で、銀メダルを取ることができました。
私の仕事で「襷、バトン」で思い出すのは、マンション理事会役員の引き継ぎです。
総会で役員が入れ替わっても、過去の取り組みが適切に引き継がれ、
次の役員が未来に向けてマンション管理組合運営をスムーズに進められるかは、
引き継ぎの出来にかかっています。
そして、私。
父が亡くなりました。
2年半前に脳梗塞で倒れ、2年半は首から下が動かない生活でしたが、
いまはそこから開放され、旅立ってゆきました。
亭主関白だった父は、寝たきりになって
「すべてを人に頼って生きて」行かざるを得なくなりました。
それまで一番近くにいて厳しく当たっていた母や兄による懸命の介護に、
晩年は「世話になったね」ともともとあった愛情が前面にでた、
最後は本当に優しい父になっていました。
葬儀で父の遺影と家族の写真を眺めながら、ふと、
親から、深山家の、人としての襷を渡された
今度は私たちが子どもたちへ良い状態でバトンを渡さなければならない
と思いました。
人間も、何十年も人生をかけてバトン握りしめながら走り、
最後は子孫の代へ渡し、託していく。
その継続で今日の世界があり、日本があり、地域があり、家族があります。
そんなことに気付かされた、涙と感謝の日々でした。
親父、ありがとう、お疲れ様。いってらっしゃい!
今日から少しだけ大人になって、職務に復帰します。